この世のお金も問題でなければ、病気も問題ではないのです。

災難も事故も問題ではありません。 それらは本質ではないからです。

それらは、握りしめておくべきものではないからです。

ただそこに一時的に存在するものであって、生命ほどのパワーも、生命ほどのエネルギーもありません。

なぜなら、生命に宿る神様は宿っていないからです。

多くの人はお金や物質に執着してしまっています。

それらを増やしたり、減らしたりすることに一喜一憂していますが、

そのような変化は、私たちの本質が望む変化でもなければ、進化でもないのです。

そのような変化を進化だと勘違いしていると、時間を無駄に使うことになり、

もったいないわけです。

自立しながら、「内なる神」を見つめ、本質を見極めながら生きること、


その生き方こそが、人生を完とうする生き方です。

家族でも、仕事でも、お金でも、ステータスでもなく、
神一点を見つめ、本来の自分を見出すこと、つまり、「我即神也」ということなのです。

これを確信した私は、仕事と家庭を両立させようと無理に頑張る気持ちから解放されました。

そして
、『今与えられた瞬間』を大切にし、
その時に必要とされたことにベストを尽くし、

後の不安や心配はすべて神(守護霊)に託しながら、み心のままに動いていくことが答え
であると分かったのです。

私は迷った時には必ず、神様とまっすぐにつながった本来の自分の意識とつながり、
選択することにしました。

そうすると必ず、すべてがうまくいき、完璧に整っていき、
執着や不安は消えていくのだと思うのです
。(白光誌2月号より)
「み教え」があるのも、「祈り」があるのも、「印」があるのも、
すべて、その響きを通して、神様とつながるためにあるわけです。

それだけではなくて、自分がこの世で出会う人も、経験する出来事もすべて自分と神との対話、つながりを強めるためのものだと思うのです。