「み教え」があるのも、「祈り」があるのも、「印」があるのも、
すべて、その響きを通して、神様とつながるためにあるわけです。

それだけではなくて、自分がこの世で出会う人も、経験する出来事もすべて自分と神との対話、つながりを強めるためのものだと思うのです。